17歳の時の怪我の後遺症で、40歳の時私は頚椎損傷による右腕麻痺を負いました。
入院中、お医者さんからこう告げられたのです。
「本来なら首から下が麻痺してもおかしくなかった。でも右腕だけで済んだのは幸運ですよ」
再起不能。──そう言われました。
けれど私は19歳の時の記憶を思い出しました。
ボランティアをしていた、日本初の重度脳性麻痺でありながら小学校の先生をされていた遠藤茂先生。
先生はいつも言っていました。
「レイリーは痛みを感じられて羨ましい。痛みは自然の包帯であり、体のボタンなんだよ」
その言葉を胸に、私は気づいたのです。
待てよ、まだ痛い。痛みがあるってことは、神経が通ってるってことじゃないか。
「うれしい、うれしい!」
そう思った私は、空手の形と瞑想を、痛みがなくなるまで諦めずに続けました。生徒にゾーンへ導くシータ波の脳波とセロトニン ミエリンというチャンネルに脳を合わせ
病院のベッドに横たわりながら、瞑想で6時間も空手をしていたある日。
看護師さんの「きゃーっ!」という声で目を覚ますと──
一生動かないと言われていた右腕が、実際に動き、太極上段の型を取って動いていたのです。
再起不能と言われた右腕が、動いた。
その瞬間、私は涙が止まりませんでした。
YOGARATEに救われた
私は目の前の生徒一人ひとりの夢を叶えるために「YOGARATE」を研究してきました。
でも気づけば、そのYOGARATEに自分自身も救われていたのです。
私の17歳の時に90歳と言われた怪我でボロボロの右膝が首が右手がこう語りかけてくる気がしました。
「ひとつ失うとひとつ与えられる 失った場所には仏様が住む ヨガラテを広めよう」
それ以来、ヨガを外へ教えるようになり、YOGARATEを通して医療や怪我で悩む人選手として伸び悩む人 パーキンソン病や癌 登校拒否 さらに幅広い客層の人たちがyogarateをしにきて2ヶ月先までキャンセル待ちのメソッドになりました 私の人生の道となりました。
雑誌連載という挑戦
五十嵐道場錬成日本一をきっかけに 私は空手雑誌で連載を書かせていただくことになりました。
はじめに編集長にこう言いました。
「私は子どもの頃から作文を時間内に書けず、居残りの劣等生でした。そんな私でもいいのでしょうか?」
編集長は優しく答えてくれました。
「締切期間は決めません。書き終えたら持ってきてください」
戦績もなく、文才もなく、ないもの尽くしの私。
原稿用紙10枚を書くために、まず100枚以上書き、そこから削っていく不器用なやり方。
それでも明け方まで机に向かい、書き続けました。私のような自分で自分を壊すような練習の仕方じゃない 怪我をしにくい怪我させない練習方法がまだあることをたくさんの人たちに知ってもらいたい気持ちです
自分をダメと思っている人にyesを「続かないかも」を、「また行きたくなる」に変える 楽しさや まだ努力を試せる方法があるよと希望を届けられるように
毎日毎日 の結晶がyogarateです
全日本空手道五十嵐道場 & reily Yoga Studio
空手道全国選手 ナショナル選手多数輩出 ヨガラテ発祥地
個別レッスン 組手担当 げんき先生 形担当 れいこ先生
五十嵐道場毎日練習 レイリーヨガ月3回カームハート月一回 etc…
住所:東京都江戸川区松江3-20-2
最寄り駅:
都営新宿線船堀駅バス10分
JR新小岩駅バス15分
全日本空手道一友会五十嵐道場
代表 五十嵐理
指導員 五十嵐 元樹
レイリーヨガスタジオ 代表 レイリー